2010年12月28日 原告槌田敦は、以下の報告を公表した。 ▼2010年12月24日付で、最高裁から調書(決定)という文書が届いた。これはいわゆる「三行決定(みくだり決定)」で、ウィキぺディ7によれば最高裁判決・決定の9割以上という。事件名と日付と裁判官名を変えればすべてに通用する安直な文書である。 ▼上告人(原告)は、そのような事情を知らされないまま、上告理由補充書を書き、被上告人(被告)気象学会の反論を期待した。しかし、最高裁というところでは、被上告人は何もしなくてよいということを後に聞かされ、肩透かしを食らったと感じた。 ▼それだけではなく、この「みくだり決定」を見て、最高裁自体が上告理由書ばかりか、この上告人の書いた補充書を読んだかどうかさえ怪しいものだと感じた。日本は、三審制ではなく、二審制だということを知っているつもりではいたが、扉も開けないことがこれほどひどいものとは、実際にされてみなければ、実感できないのかも知れない。 ▼2009年5月27日に東京地裁に提訴した理由は、気象学会が政治的に都合の悪い論文を排除したこと、原告がその不法行為に黙ってはいないこと、を多くの人々に知ってもらうためだったから、負けることはもともと問題ではなかった。つまり、気象学会が返答に困ってのたうち回る様と、裁判所が気象学会という部分社会の秩序維持のため、言い繕いこじつける様を明らかにできればよいと思っていた。これはできたと思っている。 ▼地裁では、論文を採用しない理由について被告は「原告は気温変化という数年規模の短期的現象でもってCO2濃度増の長期的現象を論じている」であった。これに対し、原告は、 35年間にわたる気温とCO2濃度の関係事実を解析しており「誤読」であると反論した。地裁はこの争点について一切無祝し、 「投稿者から見て科学的には異論が十分にあり得たとしても、拒否行為が相応の科学的根拠に基づく以上、不法行為は成立しない」とした。つまり、双方に科学的根拠があるなら、学会の裁量権が勝つという論理である。 ▼そこで高裁では、控訴人(原告)は、気象学会には「査読制度に関する編集委員会の考え方と指針」という規則があり、自由には裁量できないと主張した。被告はこれに答えなかった。ところが、高裁は、地裁判決を全面的に採用し、この「考え方と指針」は単なる「考え方」であって、法的義務は発生しないと追加した。高裁は「指針」としての拘束力を無視したのであった。これが無視できないから困っている被告を助けたのである。 ▼本件の敗訴は、地裁での失敗にすべての原因がある。まず、 「誤読」という安易な主張に頼ったこと。また、「考え方と指針」による法的義務を強調せず、さらに、憲法違反に気づかなかったこと、である。そして、 50日という長い上告準備期間中に、最高裁の「みくだり決定」の存在すら勉強せず、最高裁に対してその予防をしなかったことである。 |
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